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荒瀬ダムに関する意見書

2008.11.12
熊本県知事
  蒲島郁夫 殿
第1/意見の趣旨
熊本県営荒瀬ダムは,撤去すべきである。
第2/意見の理由
荒瀬ダムの概要
<1> 熊本県営荒瀬ダムは,熊本県八代市坂本町に所在し,熊本県の球磨川水系総合開発事業として最初に着工された発電用ダムである。1955(昭和30)年に球磨川初の発電用重力式コンクリートダムとして完成した。
水力発電を唯一の目的とするダムであり,利水や治水を目的としたものではない。
高さ25m,幅約211m,総貯水容量1013万7000? ,有効貯水容量242万? の重力式コンクリートダム。水は,603mの圧力トンネルを経て調圧水槽に導かれ,水圧鉄管2条により有効落差16mを得て,最大出力1万8200kWの能力をもつ県営藤本発電所に至る。
平成18年度において,県営藤本発電所が九州電力に売電した年間電力量は6798万3254kWhであるのに対し※1 ,同年度の九州電力熊本支店管内における年間販売電力量は約111億6000万kWhであるから ※2,藤本発電所の供給電力量が熊本県下の総供給電力量に占める割合は約0.61%にすぎない。
ダムによる環境破壊
<1> 水質
ア)ダムの水は停滞しているので,慢性的に水質が悪化する傾向がある。特に,暖候期の成層状態では下層の水は濁りやすく,ダムの底にはヘドロ状の底質が厚い層になって堆積している 。
2002(平成14)年2月に荒瀬ダムの工事が行われた。付近住民の話によれば,工事直後にこれまで経験したことがないほどの水の濁りと臭気が発生したという。これは,荒瀬ダムの水位を下げたために,湖岸付近にたまっていたヘドロ状の堆積物が巻き上がり,河川水とともに下流に排出されたためと推測される※3。
また,荒瀬ダムの撤去に向けて水位を下げていた時期には,普段は見ることのできなかった水面下の様子を見ることができたが,川底には土砂が砂浜のように積もり,付近住民が「くさい」と口をそろえるヘドロ(泥土)が厚い層を作っていた※4。
イ)ダムと赤潮発生との関係も看過できない。
球磨川には荒瀬ダムの上流に瀬戸石ダム,市房ダムと3つのダムがあるが,これらのダムの放流があると,下流には,大量に色の付いた腐敗した水が流れてきて,その後に赤潮が発生している※5。
また,荒瀬ダムから約1km上流に流れ込む支流の百済来川では,ダム湖の水位が百済来川河口より高く水が滞留するため,毎年のように赤潮が発生している 。
ウ)荒瀬ダムはアユ漁へも深刻な影響を与えている。
荒瀬ダム下流約3㎞の球磨村中谷に住む男性は,「(荒瀬ダムができる前は)秋の落ちアユ時期の二か月ほどで,30人が5~6トンもアユを獲った。昔はアユが手づかみできるほどおった。今では想像もつきません。」と語る※6。
<2> 球磨川河口への影響
球磨川河口ではこの数十年,球磨川からの土砂の流れ込みが大幅に減少しているため,干潟面積が減少している。大きいところでは干潮時の干潟が数百mにわたって後退している。特に砂の流れ込みが減少しているため,砂干潟であったところがヘドロ化している。カキ,アサリなどの貝類もほとんど採れなくなった。
この干潟に沿って存在していた藻場は,広いところでは幅500~600m,狭いところでも幅200mあったと言われるが,昭和40年代の初めに完全に消失してしまった。藻場は,魚の産卵の場所,稚魚の育つ場所,魚の餌場として重要な役割を果たしていた。
<3> 水害
荒瀬,瀬戸石ダムを抱える球磨川中流部の坂本町,球磨村などで水害が頻発するようになったのはこの二つのダムが完成してからだと住民は言う。
ダムが建設されるとダムサイトの水位は上昇する。ダムをはさんで上流と下流の水位差は,荒瀬ダムが16m,瀬戸石ダムが18.6mであり,通常でもそれだけ水位が上がっている。しかも,この二つのダムは,中流の峡谷部にあるため貯水池の幅が狭く,洪水時には膨大な量の水が流れ込み,水位に傾斜が生じる。すなわち,ダムサイトを起点にして,貯水域の先端よりもさらに上流まで,ダムがなかったときに比べて洪水時の水位が上昇するという現象が生じるのである※7。
住民も水害の原因として,【1】ダム湖内に局地的に土砂(たい砂)がたまっている,【2】ダムが障害となり河川の流れを妨げ,上流の水位を押し上げている,【3】ダム放流のミスを指摘している※8。
<4> 振動
雨期などに行われるダムの放水により,周辺住民は振動の被害に悩まされている。「ダムができて初めての放流のとき,ガラス戸やふすまが突然ガタガタといい始めた。子どもや孫に同じ苦しみを残すわけにはいかない。」と,坂本町上荒瀬に住む男性は言い,「ガタガタ」という室内の「振動音」,瓦が落ち壁がひび割れる「家屋被害」はダム放流による地盤振動が原因だと訴える※9。
県企業局は,1995(平成7)年に上荒瀬集落に対して振動の「迷惑料」を支払った。振動がダムに起因すると断定できないとして「補償金」とはしなかったという※10。
※1熊本県発行の「財政事情」のうち「第8 公営企業会計の状況」p61(平成19年12月公表)
※2九州電力熊本支店販売電力量 http://ku.kyuden.co.jp/outline_sell
※3宇野木早苗「諫早長大河口堰と川辺川ダムが天草周辺海域に及ぼす影響」
※4熊本日日新聞2002年11月1日朝刊,同2003年2月13日朝刊
※5熊本日日新聞2002年11月1日朝刊
※6熊本日日新聞2002年10月27日朝刊
※7福岡賢正「国が川を壊す理由」
※8熊本日日新聞2002年11月3日朝刊
※9熊本日日新聞2002年11月2日朝刊
※10以上の荒瀬ダムによる被害については,後に述べる第55回九弁連大会シンポジウム実行委員会による現地の調査を行った際に,地元住民や不知火海漁民からの聞き取り調査ですべて確認された事項であり,同シンポジウム報告書(後記)にもまとめられていることである。
荒瀬ダム撤去に至る経緯
<1> 荒瀬ダム撤去への流れは,荒瀬ダムの継続により環境への影響を配慮していた住民の意思と,球磨川で漁業を営む漁民の意思を受け,ダム所在地である旧坂本村の全会一致のダム撤去を求める決議へとつながり,自由民主党熊本県議団の提言を受けて,2002(平成14)年12月10日,当時の熊本県知事であった潮谷義子知事が,7年間の「事業継続ののち,ただちに撤去に入りたい」と正式発表するに至ったものである。
当時の新聞記事から引用すると,主な出来事は,以下のようなものである。
2002年
6月9日 ダムによる水質の悪化を危惧する旧八代郡坂本村住民らが「荒瀬ダムを考える会(代表 本田進氏)」を発足。(2002年6月11日熊日朝刊)
6月21日 旧坂本村西村三千雄村長が,「本音を言えばダムを壊してもらいたいが,(水利権更新に際し)住民の合意が得られるような改良がなされればそれに超したことはない」と述べ,住民意思を熊本県,国に伝えていく意向を示す。(2002年6月22日熊日朝刊)
7月15日 八代海沿岸37漁協でつくる川辺川ダム対策委員会(委員長 宮本勝鏡町漁協組合長)が,熊本県企業局と交渉し「漁業への影響が大きい」などとして,荒瀬ダムの撤去を求める。(2002年7月16日熊日朝刊)
8月1日 国土交通省九州地方整備局が設置した八代海域調査委員会(委員長 弘田禮一郎熊大名誉教授)が開いた漁業者等との意見交換会において,「八代海域の環境悪化には既存ダムの影響が大きい」として,荒瀬ダム撤去を求める意見が相次ぐ。(2002年8月2日熊日朝刊)
8月9日 熊本県企業局が主催した水利権更新を前提とした住民との意見交換において,荒瀬ダムの役割を説明し理解を求める企業局に対し,一部住民は赤潮発生による水質悪化や上流からの砂利供給の減少など環境変化を訴え更新に反発する。(2002年8月10日熊日朝刊)
9月5日 球磨川漁協(木下東也組合長)理事会が,荒瀬ダム(藤本発電所)の水利権更新につき熊本県企業局から受けた環境改善案に対し「改善策は不十分」として,潮谷義子知事(当時)に漁協が求める改善策を提出することを決定。(2002年9月6日熊日朝刊)
9月20日 旧八代郡坂本村議会(松田重敏議長,14名)が同日の9月定例会本会議において,荒瀬ダム(藤本発電所)の継続に反対する請願を全員一致で採択,国と熊本県にダム継続停止を求める意見書を賛成多数で可決。(2002年9月21熊日朝刊)
9月25日 球磨川漁協がダムによる球磨川の水質汚濁などに対し,県境保全策を徹底するよう,熊本県に申し入れ。(2002年9月26日熊日朝刊)
10月1日 熊本県企業局が,球磨川における荒瀬ダムの水利権更新問題で,2002年度から5カ年で13億円をかけてダム湖内に堆積した砂の除去による水質改善や護岸の修補などの環境対策に取り組むことを表明。(2002年10月2日熊日朝刊)
10月17日 西岡三千雄旧坂本村村長と同村議会議員ら15人が,潮谷義子知事に対し住民総意として「ダム継続反対」を伝える。(2002年10月18日熊日朝刊)
10月25日 九州弁護士連合会第55回九州弁護士連合会大会宣言として,大型のダム・堰の建設事業等大型公共事業の実施が,その環境や生態系に重大な影響を及ぼすことを前提に,「河川や海の正常な機能を根本的に回復させるため,水系全体にわたる調査・研究を行」い,同調査・研究をふまえ,「既存のダム,大型の堰についても,必要があれば撤去を含む対策を講じること」を提言する「危機に瀕した有明海・八代海の環境保全と再生に向けた宣言」が採択される。(第55回九弁連大会宣言参照)
11月5日 八代郡市の球磨川漁協組合員や遊漁者らでつくる「やつしろ川漁師組合」(毛利正二組合長)が,熊本県に対し,荒瀬ダムの撤去を求める要望書を提出。
    同日,自由民主党県議でつくる「荒瀬ダム問題プロジェクトチーム」(代表 西岡勝成政務調査会長,11人)が,坂本村を訪れ,西岡村長や住民らから意見聴取。(2002年11月6日熊日朝刊)
11月25日 八代市民らで作る「美しい球磨川を守る市民の会(出水晃代代表)」が,荒瀬ダム(藤本発電所)の水利権更新のストップを働き掛けるよう求めた陳述書を八代市長に提出。(2002年11月26日熊日朝刊)
11月28日 自民党熊本県議団の「荒瀬ダム問題プロジェクトチーム(代表 西岡勝成政務調査会長)」が,撤去を前提とした10年前後の水利権更新を熊本県に求める方針を固める。(2002年11月28日熊日夕刊)
12月5日 自民党熊本県議団(池田定行団長)が,荒瀬ダム(藤本発電所)の水利権更新問題で,10年を目処に更新した後,ダムを撤去することを柱とする提言書を潮谷義子知事に提出する。(2002年12月6日熊日朝刊)
12月10日 潮谷義子知事が,県議会一般質問で,荒瀬ダム(藤本発電所)について「7年間の事業継続ののち,ただちに撤去に入りたい」とダム撤去を正式発表。同日,西岡坂本村村長は「ダムによる村民の50年の苦しみ,痛みを県と県議会が理解してくれて感謝する。一刻も早く清流球磨川に戻したい」と発言。(2002年12月11日熊日朝刊)
2003年
1月23日 熊本県が7年間の水利権更新後に撤去する荒瀬ダムについて,国に対し水利権更新を申請。(2003年1月23日熊日夕刊)
3月26日 国土交通省が,7年間の水利権更新を許可。(2003年3月27日熊日朝刊)
5月30日 熊本県が荒瀬ダム撤去事業の環境対策や撤去工法などを検討する「荒瀬ダム対策検討委員会」を同年6月に設置することを発表。(2003年5月31日熊日朝刊)
6月10日 坂本村村議会が,荒瀬ダム(藤本発電所)の撤去費用の負担を国に求める「荒瀬ダム撤去に国の支援を求める意見書」を全体一致で可決。(2003年6月11日熊日朝刊)
7月18日 荒瀬ダム対策検討委員会の撤去工法専門部会が県庁で初会合を開き,2005年4月を目処に撤去工法や土砂の除去量などを決めることを確認。(2003年7月19日熊日朝刊)
7月22日 坂本村住民代表による「荒瀬ダム対策検討委員会」が発足。(2003年7月23日熊日朝刊)
このように,荒瀬ダム(藤本発電所)については,建設後,50年もの間,ダムによる苦しみに耐えてきた地元住民の意思と不知火海漁業者らの要請を受け,水利権更新期間についても紆余曲折を経た上で,7年後,すなわち,2010(平成22)年に撤去を開始することを前提に,それまでの7年間に限り更新されたものである。
撤去という方針決定後は,荒瀬ダム対策検討委員会で議論が積み重ねられてきたのである。
これまでの熊本県弁護士会の取り組み
<1> 第55回九弁連大会シンポジウム
2000年の有明海の海苔凶作問題に現れた有明海異変や,八代海の赤潮被害等を背景に,九州弁護士会連合会と当会は,2002(平成14)年10月25日,熊本において,「川と海を考える~環境保全と住民参加~」をテーマとする第55回九弁連大会シンポジウムを開催した。
このシンポジウム開催にあたって,当会では,他の弁護士会の協力も得て,各水系の現地調査を行うとともに,各地の工事事務所,九州農政局,熊本県,漁業関係者,住民団体等に対してヒアリング調査を実施したほか,専門家を招いて勉強会を行うなどして,実態の把握と法制度の理解を深めた。その成果は180ページにも及ぶ報告書にまとめられている※11。
このような実態調査の結果を踏まえ,当日の大会宣言では,国および関係自治体に対し,「河川や海の正常な機能を根本的に回復させるため,水系全体にわたる調査・研究を行うこと」,「既存のダム,大型の堰についても,必要があれば撤去を含む対策を講じること」などの提言が採択された※12。
この宣言においては,撤去等を求めるダムを特定していないが,その提案理由では,「八代海(不知火海)に流れこむ最大の河川である球磨川には,下流に荒瀬,瀬戸石という二つのダム,上流に市房ダムなどが設置されているところ,我々の実態調査の結果,これらのダムが建設されて以降,河川の流量が著しく減少し,それに伴って干潟の涵養に不可欠な土砂の流量も著しく低減していることが容易に推定され,河川や海の環境異変や漁獲高の減少をもたらしていると考えられた。」との指摘がなされており ※13,当時撤去が問題となっていたダムは荒瀬ダムしかなく,この大会宣言は,実質的には,熊本県に対して荒瀬ダムの撤去を求めるものであった。
<2> (2) 荒瀬ダム撤去に関する調査活動
その後,同年12月10日,当時の潮谷義子熊本県知事は,荒瀬ダムを撤去する方針を表明した。
荒瀬ダムの撤去は,日本で初めてのダム撤去事業となるために,その経過や環境に対する配慮など,記録しておくべき貴重なモデルとなることが予想された。
そこで,当会では,荒瀬ダム撤去事業において環境問題がどのように検討されるのか等を調査し,必要があれば適切な提言を行うことも視野に入れて,調査活動を開始した。
その調査活動の概要は,次のとおりである。
年月日 調査内容
2004(平成16)年9月6日 熊本県企業局へのヒアリング調査(1回目)
2004(平成16)年10月12日 坂本村へのヒアリング調査
2005(平成17)年4月8日 不知火海漁民へのヒアリング調査
2005(平成17)年9月5日 熊本県企業局へのヒアリング調査(2回目)
2006(平成18)年1月27日 熊本県に対して要望書を提出
2006(平成18)年8月29日 熊本県企業局へのヒアリング調査(3回目)
2007(平成19)年10月4日 熊本県企業局へのヒアリング調査(4回目)
2005(平成17)年度までの調査によって,荒瀬ダム撤去事業においては,環境影響評価法の適用がないことが前提とされ,同法に準ずるような環境影響評価も行われていない等の問題点が判明した。
そこで,当会は,2006(平成18)年1月27日,熊本県に対して,【1】環境影響評価法に準じた対処,【2】パブリックコメント方式による住民参加の実施,【3】荒瀬ダム対策検討委員会等について,会議の議事録まで含めたインターネットによる情報公開の実施を求める要望書を提出し※14 。
その後も,撤去費用に関する問題,環境保全のための調査及びモニタリングの問題,撤去工法に関する問題等について,熊本県に対するヒアリング調査を継続した。
以上の調査の中で,熊本県は,2007(平成19)年10月4日の時点まで一貫して,ダム撤去費用については,荒瀬ダムの電気事業での利益と内部留保資金でまかなうことができると回答していた。
なお,本件意見書を作成するにあたっては,さらに以下の調査を行った。
【1】 2008(平成20)年10月9日 熊本県企業局ヒアリング
【2】 2008(平成20)年11月8日 八代市坂本町住民ヒアリング
※11第55回九弁連大会シンポジウム実行委員会編「川と海を考える~環境保全と住民参加」(2002年10月25日発行)
※122002年10月25日付第55回九州弁護士会連合会大会宣言「危機に瀕した有明海・八代海の環境保全と再生に向けた宣言」
※13第55回九州弁護士会連合会大会宣言の提案理由
※142006年1月27日付「要望書」
5 今回の熊本県知事の撤去方針凍結に対する評価
<1> 本年6月4日,蒲島郁夫熊本県知事は,定例の記者会見で,荒瀬ダムについて「ひとまず(撤去を)凍結して事業を継続する方向で再検討したい」と述べ,荒瀬ダム撤去方針を見直すことを明らかにした※15。
撤去費用が予想したところより増額となり,一般会計からの支出が余儀なくされるところから,「もったいない」というのがその理由であった。その後,熊本県が明らかにしている撤去凍結の理由は次のとおりである※16。
ア)財源再建の観点
県財政が厳しく,平成22年度には財政再生団体に転落しかねない状況の中,莫大な費用を使い荒瀬ダムを撤去する必要があるか,むしろ有効に利用すべきである。
イ)電気事業の将来の見通しの観点
【1】ダム撤去費用増加の見込み
当初のダムの撤去費用は,撤去費用47億円,管理・環境対策13億円,合計60億円と予想されたが,その後,護岸補修費用等の増加見込みにより54億円,管理・環境対策費用は泥土処理費用等の増加見込みにより18億円,合計72億円の見込みとなった。このままでは,内部留保資金では,撤去費用はもちろん,他発電所の維持管理費も賄えないばかりか,電気事業全体の存続を危うくするおそれがある。その場合一般会計から電気事業への資金投入が必要となるが,危機的な財政状況下では難しいこと。
【2】公営電気事業経営の先行き見通し
平成14年の撤去決定当時とは異なり,設備更新・メンテナンス・人件費など発電に要する費用と適正な利益が,売電料金に反映される,いわゆる「総括原価方式」が維持される見込みのため,荒瀬ダムの事業を継続する場合の発電所の水車発電機やダムのゲートなど更新費用約60億円は九州電力への売電料金で回収される見込みであること。
ウ)熊本県の地球温暖化対策の観点
地球温暖化が問題となっている昨今,発電過程で二酸化炭素を排出せず,燃料である水を消費しない再生可能な純国産エネルギーである水力発電は,その存在意義を増していること。
<2> しかしながら,熊本県知事の撤去凍結の判断には以下のとおりの問題がある。
ア)まず,今回の熊本県知事の撤去凍結表明は,地元住民を含めた関係者らの意見や,現地の状況を全く確認することなく,民主的な手続を一切欠いた形で表明されている。
イ)2002(平成14)年にダムの撤去を決定した最大の動機は,その経過からも明らかなとおり,荒瀬ダムによる環境破壊に苦しめられてきた地元住民及び自治体からの強い要望に応えたものだった。これに対し県知事の撤去凍結判断には環境問題に対する配慮が全く見られない。
このことに関連して,上記凍結理由中に水力発電は地球温暖化対策上存在意義があるとしていることについて言及する。大型ダムが自然生態系を破壊し,人々の生活に対しても多大な犠牲を強いるものとなっていることは周知のことである。地球温暖化対策は重要な課題ではあるが,片方で温暖化対策を言うのであれば,ダムにより破壊される価値についても十分に検討し,ダムにより得られるものと,ダムにより失われるものについての,比較検討が必要である。県知事の撤去凍結判断にはこの考察がまったく欠けている。
ちなみに,地球温暖化対策に有用とされる自然エネルギーとは,通常は小規模のものを言うのであって,大規模水力発電はこれに含まれない。2004(平成16)年にドイツのボンで開催された「自然エネルギー2004国際会議」の際には,この会議に先立って,国際河川ネットワークが,「大規模ダムを自然エネルギーのイニシアティブから排除すべき12の理由」※17と題した報告書を発表した。同報告書は,大規模水力発電はコストがかかりすぎること,環境を破壊すること,大規模貯水池からは大量の温室効果ガスを排出しうること,大規模貯水池は土砂堆積により再生不能となること等を理由に,大規模水力発電事業は,自然エネルギーを促進する世界的な取り組みから排除されるべきだと主張している。これが現段階における大規模水力発電に関する環境保護の見地からの国際的な認識レベルである。
ウ)財政問題に関しては,熊本県は本年9月末にダムを継続させる場合の試算を明らかにした。これによれば,今後10年間のダムを継続させる場合の費用は,設備更新47億円(部分改良とすることで16億円を節約),管理対策24億円,環境対策8億円,地元との協議会設置など1億円,合計80億円となる※18。
費用は撤去の場合より8億円上回るが,県によれば,71億円は九州電力との交渉で売電収入が見込めるため,県の負担は9億円となるのに対し,撤去の場合は,既に支出済みの20億6000万円と来年度の売電収入2億3000万円を差し引くと,県の財政負担は計49億円となると言う(ただし企業局の内部留保金は現時点で約52億円存在する)※19。
上記の試算に関しては,設備更新を部分改良にとどめることで低額化を図っているが,その設備がいつまで維持でき,その後の更新がどうなるのかといった点が不明であること,71億円は売電価格に含まれると見込んでいるが,この点での九州電力の了解はまだ取れていないこと,撤去の場合に比べ環境対策費が8億円しか見込まれていないこと(2002年の撤去方針以前でさえ環境対策費として5年間で13億円が見込まれていた※20)等,過小評価されているのではないかとの疑問が強く残る。
熊本県は,荒瀬ダムを「穴あきダム」とすることを検討しているようであるが※21,上記の試算ではこれによる発電量の減少により売電収入がどのように変動するかの見通しを行っていない。また,このために生じる環境への負荷がどうなるかの環境アセスメント等に関する費用も見込んでいない。
また,撤去と継続との財政比較をするのであれば,そこにかかる経費の計算のみではなく,撤去の場合に創出される環境の価値についても,十分に把握され,比較されなければならない。
さらに,熊本県の財政難を問題とするのであれば,撤去の場合の土砂除去や護岸工事に関する費用や河川環境の保護のために取られる費用は,本来,河川管理者である国が負担すべきものであり,国との費用負担の交渉が不可欠であると思われるが,この点の可能性や尽力について全く言及していない。国への費用負担については,ダム撤去の決定当初から地元からも盛んに要請されていたことであり,県としてはこの可能性を追求することを試算に入れるべきである。
※152008年6月4日付熊本日日新聞,ほか報道多数。
※16荒瀬ダム撤去の凍結について http://www.pref.kumamoto.jp/construction/section/kigyoukyoku/outline/outbody/pdf/01.pdf
※17大規模ダムを自然エネルギーのイニシアティブから排除すべき12の理由 http://www.foejapan.org/aid/rwesa/BigHydroNoJ.html
※18荒瀬ダムを継続する場合の費用等について 
http://www.pref.kumamoto.jp/construction/section/kigyoukyoku/outline/outbody/pdf/02.pdf
※192008年9月26日付毎日新聞,同日付西日本新聞
※202002年10月2日付熊本日日新聞
※212008年9月24日付朝日新聞
まとめ
<1> 撤去方針凍結に対する意見
(1) 上述のとおり,荒瀬ダムの撤去は,もともと,荒瀬ダムによる環境破壊を押し付けられてきた地元坂本村(当時)の住民や不知火海漁業者らの要請と,これを受けた村議会が全会一致でダム継続に反対する請願決議をあげたこと等を踏まえて決定されたものであった。当時,九州弁護士連合会もこれらの状況を踏まえた上で荒瀬ダム撤去を含む既存のダムの撤去を求める九弁連大会宣言を採択していた。現在の荒瀬ダムの水利権は,ダムを撤去するということを前提に7年間延長されたものであった。荒瀬ダム対策検討委員会は地元の代表者や学識経験者等を委員会に加え,ダム撤去に向けての議論を真剣に進めてきた。
 このような経緯にもかかわらず,利害関係を有する者らの意見を聴取することなく,県知事が一方的に撤去方針凍結を決めるのは,あまりに民主的な過程を無視するものである。このような形でダム撤去を凍結することは政治道義上許されない。
<2> 球磨川は,日本三大急流のひとつに挙げられ,豊かな景観と水流を誇り,そこで取れる鮎は尺鮎とも呼ばれるほどに良く育ち,そこでの生態系は,流域に暮らす人々に大きな富をもたらしてきた。また,球磨川がそそぐ不知火海の環境にも大きな影響を及ぼしてきた。先の川辺川ダムに関する県知事の発言でも,知事は,「球磨川そのものが,かけがえのない財産であり,守るべき『宝』」であると述べられている※22。
 ところが,球磨川には現時点で,市房,瀬戸石,荒瀬の3つのダムが存在し,これらのダムの設置以後,球磨川の水質は悪化し,地元の住民に対しては,鮎漁への打撃,騒音・振動・悪臭被害,水害をもたらし,不知火海にも水質悪化による赤潮被害,干潟の後退,藻場の喪失などの環境の悪化をもたらした。ダムの撤去は地元の住民の悲願だった。
 ダム撤去により,環境の再生が見込まれ,それだけに荒瀬ダム撤去は地元に大きな期待をもたらした。
 熊本県知事はこうした環境の価値を正しく把握し,荒瀬ダム撤去方針の凍結を撤回するべきである。
 川辺川ダムに関する知事の諮問機関であった有識者会議の報告書の中で,委員の一人であった鷲谷いづみ氏は,球磨川の生態系サービスの流域における重要性に触れながら,次のように指摘している※23。
 「その恵みをうけ,折り合いもつけつつ豊かに発展する社会が川と共に作る生態系―社会システムは,『世界遺産』にもふさわしい価値をもつ。荒瀬ダムの撤去により自然のシステムを(ママ 正しくは「の」か)回復が進めば,そのこと自体が世界的にも注目され,多くの旅行者や滞在者を確保することにつながるだろう。おそらく,荒瀬ダムの撤去にかかる費用は,それがもたらす長期的な経済的効果と比べれば,それほど多大とはいえないだろう。」
<3> 以上のとおりであるので,当会は意見の要旨のとおりの結論に到達した。
※22川辺川ダムについて(県知事発言要旨)
http://www.pref.kumamoto.jp/k_river/pdf/hatugen.pdf
※23川辺川ダム事業に関する有識者会議報告書
http://www.pref.kumamoto.jp/k_river/pdf/houkokusyo.pdf
以上
                平成20年11月12日
                 熊本県弁護士会
                会長  高木聡廣