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取調べの可視化(全過程の録画・録音)の実現を求める会長声明

2008.07.22
熊本県弁護士会 会長  高木聡廣

1 わが国の刑事裁判は、弁護人の立ち会いもなく外部から遮断された完全な密室で取調べられた被疑者・参考人らの供述調書に大きく依存している。しかしながら、このような密室で作成された供述調書の作成過程を事後的・客観的に検証する手段は存在しない。そのため、捜査機関による威迫・利益誘導等の違法・不当な取調べにより虚偽の自白を強要される結果、被疑者が虚偽自白に追い込まれ、自白偏重とも相まって、幾多の冤罪を生む温床となってきた。
 最近でも、無罪判決が確定した佐賀における連続殺人事件(北方事件)、鹿児島における公職選挙法違反事件(志布志事件)、富山における強姦・強姦未遂事件(氷見事件)では、いずれも違法不当な取調べにより被疑者が虚偽の自白を強要されたことが明らかとなった。
 これらの事件は、必ずしも特殊な事案ではなく、一般通常の市民が遭遇しうる事態であり、わが国の密室での取調べが抱える根本的な問題性を提示している。このような密室での違法不当な取調をなくし、冤罪の悲劇を防止するためには、代用監獄の廃止・人質司法の改革等とともに、捜査機関による全ての取調べ過程を録画・録音すること(取調べの可視化)が必要不可欠である。

2 諸外国を見ても、イギリス、アメリカ、イタリア、フランス、オーストラリアなどの欧米・オセアニア諸国のみならず、韓国、台湾、香港といったアジア諸国でも既に実施されており、今や取調べの可視化は世界の潮流となっている。
そして、国際人権(自由権)規約委員会、国際法曹協会(IBA)、国連拷問禁止委員会といった機関は、日本政府に対し、取調べを可視化すべき旨勧告している。
 さらに、2008年(平成20年)5月、国連の全加盟国を対象に人権侵害の有無などを検証する国連人権理事会の普遍的定期審査(UPR:Universal Perio dic Rreview)がなされたが、その対日審査作業部会において各国から日本政府に対し、警察等での被疑者取調べを監視する方法を検討するよう勧告がなされた。これに対し、日本政府は、同年6月の国連人権理事会本会議において、慎重に検討する旨回答し受け入れを明確にしなかった。このような日本政府の姿勢は、代用監獄の存続とともに、世界の潮流に背を向けるものであり、国際的な批判を免れない。

3 さらに、平成21年5月21日から開始予定の裁判員制度の円滑な実施のためにも、取調べの可視化が不可欠である。
  従来、自白の任意性・信用性が争いになった裁判では、取調べ状況の客観的証拠がないため、取調べ担当の警察官・検察官の証人尋問や被告人質問等で膨大な時間を費やしてきた。
  そもそも犯罪成否の判断に直接関係しない取調べ状況が公判審理の主要な争点とされ、捜査段階での自白の任意性等の立証に膨大なエネルギーを費やさざるを得ないわが国の状況は、決して健全とは言い難い。
  ましてや、一般市民である裁判員を取調べ状況の審理のために長時間拘束することは裁判員にとって過剰な負担となるばかりか、客観的資料のない現在の刑事手続のままで密室における自白の任意性等を適正に判断することは極めて困難である。取調べの可視化は、裁判員裁判における公判審理の適正化・迅速化のためにも必要不可欠というべきである。

4 検察庁においては、2006年(平成18年)7月以降、取調べの一部録画・録音を試行しており、警察庁も、2008年(平成20年)度中に取調べの録画・録音の試行を開始することを明らかにした。
  しかしながら、いずれも録画・録音の範囲が取調べの全過程ではなく自白調書作成後の署名押印の場面など、取調べ過程のごく一部に止まっており、対象事件も捜査機関側の裁量に委ねられている。
  これでは、それまで否認していた被疑者が自白すると、自白部分だけを録画・録音することが可能となり、否認段階とは比較できないことから、本来の自白か不当な取調べの結果か、客観的には全く検証できない。そればかりか、捜査機関側に都合のいい部分だけが恣意的につまみ食いされる結果、かえって録画・録音が冤罪の隠蔽手段として利用される危険性すらある。
  このような一部録画・録音は、あるべき取調べの可視化の名に値するものではなく、取調べの適正化や冤罪の防止に何ら寄与しないことが明らかである。

5 よって、当会は、国に対し、違法不当な取調べや虚偽自白による冤罪を防止し、裁判員裁判の円滑な実施を可能にするためにも、速やかに、全ての被疑者について取調べの可視化(取調べの全過程の録画・録音)を義務づけるとともに、これを欠くときは取調べの結果録取された供述調書の証拠能力を
 否定する立法的措置を講じることを強く求めるものである。