緊急事態時に国会議員の任期延長を可能とする憲法改正に反対する会長声明
1 はじめに
当会は、平成29年3月31日、「緊急事態条項を創設する憲法改正に反対する会長声明」を公表した。その中で、緊急事態条項は、一時的にせよ行政府への強度の権力集中と憲法上保障された人権の制限を図るものであるから、行政府による濫用の危険性が高いこと、大規模災害への備えとして行うべきは、災害法制を発災時に適切・迅速に運用できるよう平時から防災・減災のための対策・準備を充実させることであることなどから、災害対策等を理由に憲法を改正し緊急事態条項を創設することについて、断固として反対してきた。
しかしながら、衆議院憲法審査会では、未だに緊急事態条項の創設を求める議論が続いており、大規模災害等の緊急事態時に国会の権能を維持するために国会議員の任期延長を可能とする憲法改正案(議員任期延長案)の議論が提起され、これに賛成する会派を中心に、憲法改正に向けた検討が進められている。
当会は、緊急事態条項の一環として、緊急事態時に国会議員の任期延長を可能とする憲法改正を行うことについても、以下の理由により反対する。
2 緊急事態時に国会議員の任期延長を可能とする憲法改正に反対する理由
(1)国民の選挙権行使の制限には慎重かつ抑制的であることが必要
憲法は、主権者である国民に対し、両議院の議員の選挙において投票することを通じて、国政に参加することができる権利を保障している(憲法前文、1条、15条1項、43条1項)。国民の代表者である議員を選挙によって選定する国民の権利は、国民の国政への参加機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものである。
最高裁判所も、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないと判示している(最高裁判所平成17年9月14日大法廷判決[在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件]参照)。国会議員の任期を任期途中で延期することは、国民の選挙権行使の機会、すなわち、国民の意思を国政に反映させる機会を延期・縮小させるものであるから、国民主権原理を後退させることとなる。したがって、たとえ緊急事態時における対応であったとしても、慎重かつ謙抑的であることが必要である。
(2)現行の憲法及び法律上の規定により国会の機能は維持でき、憲法改正によって対応する必要性がないこと
熊本では、平成28年4月14日及び16日、立て続けに最大震度7の地震が発生し、甚大な被害がもたらされたが、それにもかかわらず、3か月後の7月10日に第24回参議院議員通常選挙が実施されている。
また、戦後、任期満了による総選挙がなされたことは、昭和51年の一度しかない。これらのことからしても、任期満了による総選挙が緊急事態によって実施できないという事態は、現実に生じる可能性が極めて低いが、仮にそのような事態となったとしても、選挙ができる地域は選挙を実施し、選挙が実施できない地域だけ繰延投票(公職選挙法57条)によることも可能である。
また、憲法は、議員任期延長案が想定するような場面に対応するため、参議院の緊急集会の規定を置いている(憲法54条2項後段)。参議院議員は半数ごとの改選である(憲法46条)ため、全議員が不在となることはないし、定足数(憲法56条により各議員の総議員の3分の1)に不足する事態が生じることもない。緊急集会において採られた措置は臨時のものであって、次の国会開会の後10日以内に衆議院の同意がない場合には効力を失うものとされており、衆議院による関与の機会も保障されている(憲法54条3項)。
したがって、緊急時であっても、現行の憲法又は法律上の規定により国会の機能は維持することができ、憲法改正によって対応する必要性がない。
なお、大規模災害時における選挙の実施については、日本弁護士連合会が平成29年12月22日に「大規模災害に備えるために公職選挙法の改正を求める意見書」を発出している。同意見書で提言されているように、避難先の市町村において投票を行うことができる制度の創設、郵便投票制度の要件緩和に加え、大規模災害の状況により選挙自体の延期が必要やむを得ない場合には、選挙管理委員会の判断によって円滑かつ的確に選挙をやり直す制度を創設・整備すること等が、公職選挙法の改正によって実現されるべきである。
(3)濫用の危険性があること
平成29年3月31日の当会会長声明において述べたように、緊急事態条項は、緊急事態に憲法の基本原則を停止して政府に権力を集中させるものであり、基本的人権の尊重と権力分立を旨とする立憲主義を破壊する大きな危険性をはらんでいる。
議員任期延長案についても、内閣にとって都合の良い会派構成の国会を維持し、あるいは、内閣にとって都合の良い時期に選挙を実施するために濫用される可能性が否定できない。総議員の4分の1以上の臨時国会召集要求があったにもかかわらず、数か月間にわたり国会が召集されないという事態が近年多数回発生していることからしても、濫用の危険性は杞憂とはいえない。
3 まとめ
以上のとおり、緊急事態条項としての議員任期延長案には、必要性が認められない上に、濫用の危険性もある。
そして、前記2で述べた国民の選挙権の重要性からすれば、大規模災害等の緊急時には、憲法改正によって国会議員の任期を延長するのではなく、法改正により、可及的速やかに選挙を実施することができる選挙制度を整備することこそが必要である。
よって、当会は、緊急事態条項の一環として、大規模災害等の緊急事態時に国会議員の任期延長を可能とする憲法改正を行うことに反対する。
2024年(令和6年)4月1日
熊本県弁護士会
会長 河津 典和