国際刑事裁判所(ICC)及び赤根智子所長らに対する米国政府の制裁措置を深く憂慮し、日本政府に対し司法の独立と法の支配を守るための毅然とした対応を求める会長声明
国際刑事裁判所(International Criminal Court。以下「ICC」という。)は、集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪及び侵略犯罪という、国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪について、個人の刑事責任を追及するために設立された国際的な司法機関である。我が国も2007(平成19)年にICCに加盟し、その活動を支えてきた。
ところが、米国政府は、2026(令和8)年8月18日、ICCの赤根智子所長(以下「赤根所長」という。)及びICC検察局の上級トライアル・ローヤーであるアブドゥライ・セイ氏の2名を、2025(令和7)年2月6日付け大統領令第14203号に基づく制裁の対象に指定したと発表した(以下「8月の措置」という。)。さらに、2026(令和8)年10月9日、米国政府は、ICC本体をも同大統領令に基づく制裁の対象に指定した(以下「10月の措置」といい、8月の措置と併せて「本措置」という。)。
米国政府は、ICCの検察官、次席検察官、裁判官らに対する制裁を相次いで実施しており、本措置は一連の制裁の一環である。8月の措置によって、ICCの裁判官18名のうち9名が制裁の対象となった。さらに、10月の措置により、ICCは組織として制裁の対象とされ、その存立及び活動の継続自体が脅かされている。
本措置は、米国への入国禁止及び米国内の資産凍結を含むものであり、制裁対象となったICC本体や赤根所長らは重大な不利益を被ることとなった。その影響は米国内にとどまらず、赤根所長は、既に一部のクレジットカードが使えなくなるなど、日常生活に支障が生じていることを明らかにしている。
米国政府は、8月の措置の理由として、赤根所長及びアブドゥライ・セイ氏が、ICCの管轄権に同意していない国の当局者について、ICCが捜査、逮捕、拘束、訴追する取組みに直接関与してきたことを挙げている。
しかし、ICCの管轄権の有無は、ローマ規程が定める手続に従い、ICC自身の司法判断によって決せられるべき事柄である。管轄権をめぐる主張の相違を理由に、職務を遂行した個人に対して国家が一方的に制裁を科すことは、司法の独立を著しく損なうものである。
本措置は、ICC自身の司法手続に委ねることなく、国家の力によって国際司法機関の活動を封じようとするものであり、「法の支配」ではなく「力による支配」にほかならない。二度にわたる世界大戦の惨禍を経て、国際社会が国際秩序の基礎に据えてきた「法の支配」を根底から揺るがすものであり、断じて容認することはできない。
また、司法の独立は、裁判官が、政治的・経済的な権力等のいかなる外部の圧力にも左右されず、法と証拠のみに基づいて判断を行うことを保障するものであり、すべての人の基本的人権を守る不可欠の前提である。
そして、かかる司法を担う個人が、その職責を果たした結果として、国家その他の強大な権力による制裁を受けるのであれば、制裁対象者のみならず、他の裁判官、検察官、弁護士等の司法関係者に対しても重大な萎縮効果を及ぼすこととなる。
本措置によりかかる萎縮効果が生じた場合、国際刑事司法の機能は損なわれ、最も重大な犯罪の被害者の救済が失われることとなるため、当会としては、米国政府による本措置を深く憂慮するものである。
ここで、日本政府は、8月の措置の発表を受けて、2026(令和8)年8月19日の外務報道官談話で「大変残念」との認識を示し、同月25日には、高市首相が、8月の措置は「日本の立場と相いれず、大変深刻に受け止めている」旨を述べた。当初の日本政府の対応より踏み込んでおり一定の評価はできるが、米国政府に対する抗議や制裁撤回の申入れについては、必要なタイミングで必要な働きかけを行う旨を述べるにとどまっており、不十分である。10月の措置に対しても、日本政府は、同年10月9日、高市首相が日本の立場と相いれず深く懸念する旨を、茂木外務大臣が同旨のメッセージをそれぞれ公表し、翌10日には、日本を含む8か国の外相がICCへの制裁に強く反対する旨の共同声明を発出するとともに、茂木外務大臣がルビオ国務長官に電話で日本の立場を伝えた。しかし、これらは懸念や反対の表明及び日本の立場の伝達にとどまり、現時点で、日本政府単独による米国政府に対する制裁撤回の正式な申入れは公表されておらず、なお不十分である。
我が国は、ICC加盟国であり、ICCに対する最大の分担金拠出国であるとともに、赤根所長の出身国でもある。そして、国際協調主義及び司法の独立を掲げる日本国憲法の理念に照らしても、日本政府は、同盟国でもある米国に対し、本措置について率直に是正を求める責務がある。
よって、当会は、日本政府に対し、以下のことを求める。
①米国政府に対して正式に抗議し、制裁指定(ICC本体に対するものを含む。)の即時 撤回を申し入れること。
②赤根所長らICCの関係者が職務を全うできるよう、渡航、金融取引その他の実務面で必要な支援を行うこと。併せて、金融機関等が本措置を受けて萎縮し、一方的な取引停止等の過剰な措置をとらないよう、関係機関に必要な説明や働きかけを行うこと。
③ICCに協力する日本の個人及び法人が、米国政府による制裁の影響により不利益を受けることのないよう、その保護の在り方について、具体的な検討を速やかに行うこと。
④ICCに対する人的・財政的支援を、今後も継続すること。
最後に、当会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士の団体として、国際社会における法の支配の砦であるICCの独立性及び公正性が守られるよう、ICCの取組みを支持し、必要な協力を惜しまないことをここに表明する。
熊本県弁護士会
会長 東 健一郎


